考えることの必要条件は、「あなた」が失敗することです。次に成功するための失敗のとらえかたとは?
こんにちは、シュウです。
いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
さて、今回は、またも失敗することについてです。そして、考えることに関する記事と合わせて読んでいただくと、圧倒的に理解が深まり、完全に失敗などを恐れて、行動できなくなるということはなくなるでしょう。
昔の記事はこちら
失敗の本質がそもそもポジティブなものである理由 - 賢者への道
考えるとは何をすることなのか?実はあなたは無意識にやってしまっている。問題発見をする最強の技術とは?
考えるとは何をすることかわからないあなたへヒントです。問題発見をする最強の技術とは?
すでに読んでいる人は、以下へどうぞ。
今回のタイトルは、少し格好をつけました。考えることの必要条件は、「あなた」が失敗することです。
つまり、失敗しないと考えられないよということです。また「あなた」になぜ、「」がついているのかについても、記事の下まで読んでいただければ、わかります。この「」の意味がわからないと、あなたは意味不明な失敗を繰り返し続けますので、ご注意ください。
最後にちょっとぴりっとくるかもしれませんがご了承ください。
では、なぜ、失敗しないと考えられないのでしょうか?
失敗するというのは、圧倒的な感情を伴って、「差」を認識することだからです。
前の記事で、考えるということは、
自分のよく知っている知識や情報と他の知識情報を比較して、その「違い・差」に思いを巡らせることが必要だと伝えましたね。
つまり、どれだけ、今の自分との「違い・差」を感じることができるかで、考える能力は変わってきます。
手っ取り早く、「違い・差」を感じる方法はないでしょうか?
簡単です。
今の自分にできないけど、できるようになりたいことをやるのです。
そうすれば、自分のやりたいことをできるようになった自分と、今のできない自分の「差や違い」を比較するようになります。
いわば、理想の自分と今の自分の比較です。
こうすることで、理想と現実の「差・違い」を認識するようになるのです。そして、それを埋めるために、必死で考えるようになるのです。
つまり、失敗をして、悔しいっと思わないと「差・違い」を認識できないので、考えるようにならないのです。
さて、最後にあなたに「」をつけた理由を書きます。
先の話で、「悔しい」という感情が出てきました。これが大事です。これがなければ、「違い・差」を埋めようとは、しませんね。つまり、考えることができない。
これでは、失敗しても無意味な失敗になってしまいます。何も考えないのですから。
それでは、悔しいという思いをどのようにすれば作れるでしょうか?
それは、簡単です。
「自分の選んだことにチャレンジすればよいのです」
大抵の人の、チャレンジは、親に言われたからとか上司にいわれたからといってやることが多いです。みんながやっているからということでやります。
このような思考だと、まったく本気になれません。
なぜかといえば、
「失敗したときに、他人に罪をなすりつけることができるからです。」
俺は、やりたくなかった、わたしはやりたくなかった、でもあの人がいったから。
こういう人が非常に多いのではないでしょうか?
この気持はよくわかります。だって、自分で選んで失敗したら怒られるかもしれないし、他の人が言うのと違うことをしたら、あとで非難されるかもしれない。
そういったことを考えて、自分で意思決定しなくなるのです。
そうすると、なんらかの形で言い訳をする人間が出来上がってしまいます。
これを回避するのに、
なるべく自分で選んでものごとを決定するということが大事です。
なぜなら、他の人ではなく自分で本気で選んだことならば、誰にも責任追及できないからです。あなたがやるっていったのでしょう。で終わりです。
最初は、難しいかもしれません。多くの人は、まず親の庇護のもとに生活をします。そこで、よほど親の理解がないと、ああしろ、こうしろと言われてしてしまいます。親の言った進路にいきます。
そして、あるとき自分で決められない人間になっているのに気づきます。親の価値観、先生の価値観、社会の価値観に染まって、すべて意思決定していることになるのです。
小さいころに自分で意思決定して判断することをしてこなかった人間が、
大人になって、いきなり責任をもって結婚相手を選べるか?職場を選べるか?という問題があります。
世の中では、
自分で選んだ職場なのに文句を言っている人が数多くいます
自分で選んだ結婚相手なのに、文句を言いまくっている人が数多くいます
それは、不思議ではないですか?
あなたが選んだはずではなかったのですか?
そうすると、職場が悪い、相手が悪いというでしょう。
これが失敗しても、自分では責任をとらないで自、人に自分のしたことの結果をなすりつけるという心理です。
自分で、きちんと小さい頃から、意思決定するようにしてこないとこうなります。
職場が悪いのであれば、それに手をうつ
相手が悪いというのであれば、あなたが「愛する」と誓ったのだから、なんとかうまくやる方法を考える
なぜ、そうしない人が多いのでしょうか?
やはり、自分で決めないできたからです。誰か他の人に価値観を設定されている可能性があるということです。つまり判断基準を誰かに預けている可能性があるということです。
日本の教育は、今まで、自分で決めさせることを良しとしないできました。進路も偏差値順にしか決めない。他のファクターを考慮しない。
平気でこんなことを大規模にやり続け、そして、大量の他人に責任をなすりつける人間を生み出してきました。
もう少し、意思決定をさせる訓練をしないとまずいと思います。
食べるものは、どっちがいい?とか小さいことからでかまいません。いろいろやって見てください。明日から変わるはずです。
最後に。ちょっと今回はブラックでした。ただ、私は、基本的に攻撃すべきは、個人ではなくシステムだと思っています。システムといえば、社会システムが思い浮かびます。
ただ、見逃してはならないのは、習慣というのは立派なシステムだということです。そして、その習慣は、自分だけでなく他人の影響も受けているので、気づかないと死ぬまで、習慣を思い通りに変えることはできません。
思考の習慣をうまく変えることが出来る記事を書きたいと考えていますので、今後とも是非よろしくお願いします。
どのようにして、自分で判断できない人が出来上がってしまうのかについて、書いた本は、こちらです。これを読むと、現代の教育の問題などが書かれています。
また、その脱却方法も。自己啓発の本の入門的な内容なので、あまり本を読まない人におすすめです。