考えるとは何をすることかわからないあなたへヒントです。問題発見をする最強の技術とは?
こんにちは、シュウです。
いつもブログ読んでいただいてありがとうございます。
今日は、考えるとは何をすることなのかについてお伝えします。この話は、強力です。この記事を読むと、「考えること」のコツを掴むことができ、結果的に人より明確に多くのことを考えることができるようになります。
考えることが必要とされる現代では、必須の能力です。
今まで、「考えること」が苦手だった人や、「考える」というのは何をすることかわからなかった人は、はじめて糸口をつかむことができるかもしれません。
結論としては、知識や情報の修得が問題を創るというものです。「比較」という概念が鍵を握っています。必ず納得できる話です。最後まで読んで、思考能力を高めるという果実を掴んでください。
また今までの記事と比べて、少し抽象的になりますが、途中で具体例を入れるので、そこと抽象的な部分を往復して理解を深めてください。
よく学校の先生、会社の上司など「自分で考えろっ」と言われたことは、ありませんか。そういうとき、そのようなことをいう人がいたら、その人に
ぜひ一度
考えるとはどういうことですか?
何をすることですか?
具体的にどういうことをすることですか?
と聞いてみてください。
そして、「考えるとは、考えることだよ」と言われたら、
「先生は、自分で何をやるかわからないことを人に命令するのですね。それは変ではないですか?初めて何かをやる人には、やり方を説明しなければなりません。」
と切り返してみるのは面白いかもしれません。ただちょっと嫌われるかもしれないので、気をつけてください。
さて、では、考えるとはどういうことなのか?考えるときに、やっていることはたくさんありますね、たぶん。そこで、今日は、みなさんが役に立つ側面を抜き出して、説明していきます。
さて、今日は、考えるという側面のうち、「問いを生み出す・問題を生み出す」という行為についてお伝えしましょう。
一般的に、「考える」という作業をするときに、「問いを生み出す・問題を生み出す」ということをして、「それに答える」ことをしているかと思います。
小中高では、問題を与えられることが多いと思います。
しかし、勉強をしていて、
「自分が何をわからないのか、理解できない」
ということがよくあると思います。
このとき、自分がわからないことが何なのかを理解する、つまり「問いを生み出・問題を生み出す」
そして、「自分がここがわからなかったのか」
と問いの形を発見して、それに明確に答えを見つけるようになってわかるようになるのだと思います。
今のは、まさに「問題を発見する」→「それに対する答えを得る」という過程をたどったと思います。
したがって、きちんと物事を理解しようとしている小中学生は、「問題発見」→「問題解決」をしていると言えそうです。
いわゆる自分で自分のわからないことを発見して、自分で理解していくということです。
次に社会人向けの説明として、よく
「社会に出てからは、答えがない問題がたくさんある」などといいますが、
そもそも、答えよりも先に「何が問題かがわからない」ということがあり、問題をきちんと定義する必要があると言われます。そして、問題が定義(解決すべき問題がわかったら、それに対して、実際に行動を起こすということです。
小中高生の考えるという行為は、頭の中の理解をするという行為ですから目に見えにくい。学者もそうかもしれない。ただ、文字にして、それを形にしていく。
社会人の場合、もうちょっと人に話したり、ものが作られたり、とちょっと物理的になる。
ただ、「考える」ということの本質は、似たようなものだということができそうですね。
さて、この「考える」というプロセスにおいて、何が大事か?
もう、おわかりですね。
そう、最初の問いや問題を創ることが大事なのです。そして、それが一番むずかしい。
例えば、
小中高生で受験生であれば、「自分が何がわからないかをことばにして理解すること」
会社員であれば、「今何が問題かをことばにして明確にすること」
です。
これに対して、どうすれば良いか全くわかりませんね。というか、
「それができれば苦労しねーよ」という声が耳に鳴り響いています。
それに対して、例を示して、ヒントを与えていきます。
次の質問を考えてください。元ネタは、「はじめて考えるときのように」という本の中のものです。
「有性生殖は、なぜあるのか」という問いです。
あなたは、この質問がいきなり出てきたことが人生であるでしょうか。もちろん、高校生物を習ったことがある人ならば、考えたことがあるかもしれません。
ただ知識がなかったとき、こどもの頃、幼稚園のころ考えたことがあるでしょうか。
おそらく多くの方は、そのような問いを持ったことがないと思います。
もしかしたら、幼稚園のときに好きな女の子もしくは、男の子にふられたことがあって、その際に、なんで男の子・女の子の違いがあるんだろう。同じ性別だったら、いつも一緒にいれるのにと思った方はいるかもしれません。
また、ある生物学者が多くの生物を観察していて、世の中には、無性生殖の生物がいることを偶然発見したとします。
そして、無性生殖の生物が簡単に一人でに増殖をしているのを見つけたとします。アメーバーがぶるんっと増殖するのをご想像ください。実際に調べてみると、結構そういう一人でに増殖する生物がたくさん世の中にいることがフィールドワークで観察できたとします。
すると、この生物学者は、ここで
「ん、ちょっとまてよと疑問を持つ可能性があります。」というか、私達でも思うかもしれません。
有性生殖の生物が、交尾のような相手を見つけるのが大変で・敵に襲われるリスクが高く・生殖に非効率的な方法をとっているのは、なぜだろうと考えるのではないでしょうか。
有性生殖の生物を見ているだけでは、このめんどくさい方法が普通すぎるので、有性生殖が、めんどくさいとか非効率とかリスクが高いとかそういった問い自体を思いつく余地がありません。
上の例で確認した通り、この生物学者は、自分の知識が増えたおかげで、いつも見ているものが逆に異常な現象だと気づくようになったわけです。
今の例で、生物学者は、
無性生殖の生物の発見→有性生殖の生物の異常さを確認
という過程を通るわけです。
無性生殖生物について、知識を拡大することによって、有性生殖の生物の異常さに気づき、
「有性生殖は、なぜあるのか?」
という問いを発見するに至ったというわけです。
一般的に、問いはいきなり出てくると思われるかもしれません。しかし、この例のように、新しい経験をするということも含めた意味で、自分の知識を拡大することを通してでしか、問いは、でてきません。
いわば、自分の今まで持ってきた知識と新しく入ってきた知識を比較して、その差に気づき、そしてその差について思いを巡らせるというが問題を発見するという行為の本質です。
ということは、ひたすら知識を拡大する必要がありそうです。そして、自分の今まで持ってきた知識との差異について、思い巡らせてみてください。そうすることで、差を発見することができ、問題を発見できる可能性が広がるのです。
ただ、もちろん知識を拡大していくのには、基本的に時間がかかりますので、すぐに思いつくようにはなりません。
少し抽象的なことをお話ししました。以下では、具体的な例を用いながら、問題を発見するパターンを見ていきましょう。
むかし、むかし、あるところに経済学者がいました。これは完全なる思考実験です。
彼は、古典派経済学のもともと信奉者でした。そして、この世は、古典派経済学の方法で世の中の経済現象をすべて説明できると信じていました。彼は、人間は、みんな合理的に意思決定して、経済活動をしていると頑なに信じていました。そして、ほとんどの経済活動は、実際に説明できていました。
彼に、こどもができました。すると多くの人が子どもをどういうふうに育てているのかの情報や知識が拡大します。みんないろいろな育て方をしているな。ふむふむ。
そこで、経済学者は、ふと思ったのです。
「あれ、そもそもなんで人間は、子育てなんて、非常に非合理的な経済行動をするのじゃ?」
「同じお金であれば、自分に投資したほうがいいではないか?情報化社会では、自分の知識にお金をかけるほうが投資になるぞ。
しかも、こどもなんて何年後に投資が回収できるのかわからんぞ。非効率的すぎる。
これだけ、格差も開いていることにも関わらず、なぜじゃ?子どもが全員稼げるようになることはありえんぞ。」
この経済学者の論理では、もともと人間は合理的な意思決定をするというのが前提でした。しかし、実際の世の中の観察結果を見ていくと、どうもうまく説明ができないことがわかり、彼は新たに家族経済学なる学問を創りました。
新しい知識の拡大によって、今まで信じてきたことでは説明できない「差」がでてきました。これによって、新しく「考える」つまり「問題を発見する」ことができたのです。
この話のポイントは、もう一つあります。彼は、古典派経済学を信奉していたのです。つまり、完全にそういう考え方を身につけていました。もちろん、信奉しすぎては、なんでもこじつけてしまってまずいですが、その場合は今回は除外します。
そうすると、その見方でものごとを見たくなります。そして、実際にその見方でものごとをみると今回は、通用しなかったというわけです。
なので、私達が問題を発見する際には、自分である考え方に習熟することが必要となります。そして、その考え方と実際に起こっていることを比較する・新しい知識を比較するということです。
そうやって、2つの似たような知識を得て初めて、考えることができるようになるのです。
具体的に私達は、何をすればよいでしょうか。
まずは、現実を説明するいくつかの知識を学ぶことです。経済学の例でいえば、まず古典派経済学を学ぶことです。そして、その経済学の考え方をきっちり身につけます。そして、その考え方で世の中の現象を説明してみようとするのです。
そうすると、うまく説明できるところとできないところが出てきます。そうすれば、説明できないことは、あなたが問題を発見したことになりますね。
ただ、これは、結構むずかしいことです。
なので、まず、経済理論などでいえば、アベノミクスについていろいろ言っている経済評論家の本を読みましょう。
最初は、自分の気に入った経済評論家の意見で構いません。最初は、好きな評論家にひたすら心酔して、崇拝して、読みまくりましょう。5冊くらい読んでもかまいません。
その考え方のパターンを掴んだと思ったら、その人と反対の意見を言っている人の本を手にとりましょう。
そうすると、最初の心酔した人とのズレや差が生じるようになります。そこについて、矛盾を解決するように何かぼんやりしてみてください。新しい、ことを考えられるようになります。
この際に注意すべきは、まずは、ひたすら一人に心酔することです。人に教えられるくらい心酔してください。中途半端に心酔しただけでは、まず思考のパターンが入っていないために、反対の意見の人の本を読んでも差がわかりません。そうすると、自分の問題発見も少なくなります。
よく武道などでいう、守破離という過程です。
まず、型を身につける→そしてちょっと違和感を感じる→完全に自分の独自の考え方をする。
この過程を通りましょう。
まず、とにかく何らかの知識をつける・心酔する。そして、それと他のものを比べてみる。そして、差を比較する。これだけです。
多くの考える本とか発想本は、知識を入れることを軽視する傾向があります。そのような安直な本に手を伸ばさないように気をつけてください。
この記事を考えるときに参考担った本は以下です。考えることについて、本当にヒントになることが書いてあります。