権威に頼らないで考えるための方法とは?
こんにちは、シュウです。
いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。
今回は、権威主義的なものの見方しかしないと、人は考えられなくなってしまい、自分でうまく判断できなくなってしまうということを説明します。そして、どのようにしてそれから脱却するかを提示していきたいと思います。
ちょっと明日からニュースを見るのが楽しくなるかもしれませんよ。どうでしょうか?
権威主義的というのは、ちょっと難しいので、偉い人や経歴がすごそうな人が言っているので、正しいだろうと思っちゃうことぐらいの意味で使います。あまり厳密な意味で使うと大変なので、このぐらいで勘弁してください。
私は、職業柄よく子どもたちに「なぜそう思うの?」と聞きます。
すると、返ってくるのが、「先生が言ったから」「テレビで偉い人が言ったから」とかそういうことを言われます。「本に書いてあった」「教科書に書いてあった」そういうことも言われます。
これらの言葉は、一見すると理由のように聞こえますが、まったく理由になっていません。これらの発言をする人たちは、すべて「偉い人が言っていたから」とか「世間が認めたから」といった基準で物事を正しいと決めています。
でも、偉い人が言っていたからあっていると考えるのは危険ですよね。なんか原発事故のときだってきな臭いことを言っていました。また科学の発見だって、たいてい前の科学者が間違っているといったことがあとの優秀な科学者によってひっくり返るということもあります。
だから、いわゆる偉い人が言っていることは間違っている可能性があるわけです。そして、偉い人が言っていることが間違っているかもしれないと誰も監視しなくなったら、偉い人たちは嘘つき放題になってしまいます。
なので、権威主義にはまってはやはりまずいわけです。どうしても、みんなで権威を監視しないといけない。
さて、そんなことはわかっても権威はやっぱり権威だよと思うかもしれません。
どうやって、権威を疑うんだよ。と思うかもしれません。
そこで、ちょっとした思考実験をしてみましょう。
ある政治の事件があったとします。そして、その事件について、テレビに出ている東京大学教授がいるとします。そして、あなたはその人の発言を聞いたとする。
そのとき、なるほど、偉い人が言っているんだから、間違いないと思っちゃうのは、まずはしょうがないことです。本当は最初から、おい!ってツッコミを入れて欲しいですが。
問題は、その後です。今から言うことを思い出してください。
東京大学の教授は何人いますか?と
そして、それ以外の京都大学・大阪大学・その他国公立大学・早稲田・慶應たくさん、世の中で良いとされている大学はあります。20~30はあります。もちろん、東大に通った人は、東大以外は大学じゃねーっと言うかもしれませんが。
同じ分野の研究者でもかなりの数の研究者がいることは間違いないですよね。
かなり研究者がいるということは、たくさんの研究の切り口があるということです。
あなたに質問です。
そのみんなが同じ意見だと思いますか?
絶対に、一人ぐらい違う意見をいう人はいますよね。
その反対の意見を聞くようにするのです。
やり方は、簡単です。
その教授の名前をグーグルの検索ページにぶち込んで
〇〇批判
とかいれます。
そうすると、いろいろな反対意見が見ることができます。自分の思っていた論理と違う論理を展開している人たちは、ネットにあふれています。是非いろんな意見を見比べてみてください。
自分の好きな作家・大学教授でも必ず入れて検索しましょう。というか好きな人ほど、検索してください。
思ってもいないところで批判されているかもしれません。そして、その批判というか否定されているのを見ても、あなたはファンで居続けるのかを考えるのです。
そして、ダメだったら、その人はポイ捨てしてください。他の人を見つけてください。
それを繰り返せば、より確からしい人はいるけど、絶対に正しい意見などないことがわかってきます。
そして、最後に自分の現実の実感とあっていることを言っている人を選べばよいでしょう。ただ、あなたは、自分の知識が増えていくにしたがって、誰が正しいと判断するかは変わっていきますが。
このように判断していくのです。
よく受験生で、誰の勉強法が正しいかわからないとか、一人の意見だけを聞く人がいます。それは、危険です。まず一人だけの意見を聞いただけでは、その人が間違っているかどうかわかりません。
親の意見と先生の意見と友達の意見みんな違うから、あっている・間違っているの判断ができるのです。比べることができなければ、選ぶことができません。
また、権威主義に陥っていると、いろいろなことを一つの問題に対して、複数のことを言われると、何をしていいのかわからなくなります。
5人の専門家がいたときに、話をされてみんなが違うことを言っていると、なったときに、一番経歴がよくて、偉そうな人を選ぶことになってしまいます。
それでは、あなたが判断したとはいいません。社会的な権威を価値判断の根拠としただけです。
基本的には、どんな人のどんな意見にも絶対に穴があるということを知っておいてください。そして、判断をするときに権威で選びそうになったら、
すぐにグーグルに飛び、
〇〇批判
と入れてみてください。
あなたの想像もしなかった、世界が開けてくるはずです。
人を操りたい、子どもを自分の思い通りにしたいと思う方は、下の権威と権力をおすすめします。中学生の男の子と作者の対話形式で書かれていて、非常にわかりやすいです。
私が塾の講師をしていたとき、こどもを従わせるにはどうすれば良いかを考えて何度も読みました。
権威は、なぜかわからないけど従いたくなってしまう感じ
権力は、強制的に人を従わせる力
だそうです。
考えることの必要条件は、「あなた」が失敗することです。次に成功するための失敗のとらえかたとは?
こんにちは、シュウです。
いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
さて、今回は、またも失敗することについてです。そして、考えることに関する記事と合わせて読んでいただくと、圧倒的に理解が深まり、完全に失敗などを恐れて、行動できなくなるということはなくなるでしょう。
昔の記事はこちら
失敗の本質がそもそもポジティブなものである理由 - 賢者への道
考えるとは何をすることなのか?実はあなたは無意識にやってしまっている。問題発見をする最強の技術とは?
考えるとは何をすることかわからないあなたへヒントです。問題発見をする最強の技術とは?
すでに読んでいる人は、以下へどうぞ。
今回のタイトルは、少し格好をつけました。考えることの必要条件は、「あなた」が失敗することです。
つまり、失敗しないと考えられないよということです。また「あなた」になぜ、「」がついているのかについても、記事の下まで読んでいただければ、わかります。この「」の意味がわからないと、あなたは意味不明な失敗を繰り返し続けますので、ご注意ください。
最後にちょっとぴりっとくるかもしれませんがご了承ください。
では、なぜ、失敗しないと考えられないのでしょうか?
失敗するというのは、圧倒的な感情を伴って、「差」を認識することだからです。
前の記事で、考えるということは、
自分のよく知っている知識や情報と他の知識情報を比較して、その「違い・差」に思いを巡らせることが必要だと伝えましたね。
つまり、どれだけ、今の自分との「違い・差」を感じることができるかで、考える能力は変わってきます。
手っ取り早く、「違い・差」を感じる方法はないでしょうか?
簡単です。
今の自分にできないけど、できるようになりたいことをやるのです。
そうすれば、自分のやりたいことをできるようになった自分と、今のできない自分の「差や違い」を比較するようになります。
いわば、理想の自分と今の自分の比較です。
こうすることで、理想と現実の「差・違い」を認識するようになるのです。そして、それを埋めるために、必死で考えるようになるのです。
つまり、失敗をして、悔しいっと思わないと「差・違い」を認識できないので、考えるようにならないのです。
さて、最後にあなたに「」をつけた理由を書きます。
先の話で、「悔しい」という感情が出てきました。これが大事です。これがなければ、「違い・差」を埋めようとは、しませんね。つまり、考えることができない。
これでは、失敗しても無意味な失敗になってしまいます。何も考えないのですから。
それでは、悔しいという思いをどのようにすれば作れるでしょうか?
それは、簡単です。
「自分の選んだことにチャレンジすればよいのです」
大抵の人の、チャレンジは、親に言われたからとか上司にいわれたからといってやることが多いです。みんながやっているからということでやります。
このような思考だと、まったく本気になれません。
なぜかといえば、
「失敗したときに、他人に罪をなすりつけることができるからです。」
俺は、やりたくなかった、わたしはやりたくなかった、でもあの人がいったから。
こういう人が非常に多いのではないでしょうか?
この気持はよくわかります。だって、自分で選んで失敗したら怒られるかもしれないし、他の人が言うのと違うことをしたら、あとで非難されるかもしれない。
そういったことを考えて、自分で意思決定しなくなるのです。
そうすると、なんらかの形で言い訳をする人間が出来上がってしまいます。
これを回避するのに、
なるべく自分で選んでものごとを決定するということが大事です。
なぜなら、他の人ではなく自分で本気で選んだことならば、誰にも責任追及できないからです。あなたがやるっていったのでしょう。で終わりです。
最初は、難しいかもしれません。多くの人は、まず親の庇護のもとに生活をします。そこで、よほど親の理解がないと、ああしろ、こうしろと言われてしてしまいます。親の言った進路にいきます。
そして、あるとき自分で決められない人間になっているのに気づきます。親の価値観、先生の価値観、社会の価値観に染まって、すべて意思決定していることになるのです。
小さいころに自分で意思決定して判断することをしてこなかった人間が、
大人になって、いきなり責任をもって結婚相手を選べるか?職場を選べるか?という問題があります。
世の中では、
自分で選んだ職場なのに文句を言っている人が数多くいます
自分で選んだ結婚相手なのに、文句を言いまくっている人が数多くいます
それは、不思議ではないですか?
あなたが選んだはずではなかったのですか?
そうすると、職場が悪い、相手が悪いというでしょう。
これが失敗しても、自分では責任をとらないで自、人に自分のしたことの結果をなすりつけるという心理です。
自分で、きちんと小さい頃から、意思決定するようにしてこないとこうなります。
職場が悪いのであれば、それに手をうつ
相手が悪いというのであれば、あなたが「愛する」と誓ったのだから、なんとかうまくやる方法を考える
なぜ、そうしない人が多いのでしょうか?
やはり、自分で決めないできたからです。誰か他の人に価値観を設定されている可能性があるということです。つまり判断基準を誰かに預けている可能性があるということです。
日本の教育は、今まで、自分で決めさせることを良しとしないできました。進路も偏差値順にしか決めない。他のファクターを考慮しない。
平気でこんなことを大規模にやり続け、そして、大量の他人に責任をなすりつける人間を生み出してきました。
もう少し、意思決定をさせる訓練をしないとまずいと思います。
食べるものは、どっちがいい?とか小さいことからでかまいません。いろいろやって見てください。明日から変わるはずです。
最後に。ちょっと今回はブラックでした。ただ、私は、基本的に攻撃すべきは、個人ではなくシステムだと思っています。システムといえば、社会システムが思い浮かびます。
ただ、見逃してはならないのは、習慣というのは立派なシステムだということです。そして、その習慣は、自分だけでなく他人の影響も受けているので、気づかないと死ぬまで、習慣を思い通りに変えることはできません。
思考の習慣をうまく変えることが出来る記事を書きたいと考えていますので、今後とも是非よろしくお願いします。
どのようにして、自分で判断できない人が出来上がってしまうのかについて、書いた本は、こちらです。これを読むと、現代の教育の問題などが書かれています。
また、その脱却方法も。自己啓発の本の入門的な内容なので、あまり本を読まない人におすすめです。
考えるとは何をすることなのか?実はあなたは無意識にやってしまっている。問題発見をする最強の技術とは?第二弾
こんにちは、シュウです。
いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。
今日は、前回の記事
考えるとは何をすることかわからないあなたへヒントです。問題発見をする最強の技術とは? - 賢者への道
をさらにわかりやすくしてお伝えします。
前回は、「有性生殖の生物」はなぜいるのかというのを例にとり、
「問題発見をするとはどういうことなのか?」
を説明しました。
しかし、このような例でなくとも、実際に皆さんは、実はもう既に考えることをやっているのです。しかも、かなり日常的にうまく問題発見をしています。
「え、そんなことあるの?」と思われるかもしれません。
その場合、迷わず「実際に問題発見できています。日常的に!」と私は言います。
ですので、その日常的に行っていることを仕事に活かしたり、勉強に活かしたりすればよいと思います。
当たり前に出来過ぎていることは、あまり意識に上がりません。ここが多くの人にとっての落とし穴になっているのです。
この記事を最後まで読めば、きっと手がかりが得られるはずです。
では、話に入りましょう。
前回の記事では、
考えることの重要な側面は、問題を発見するということであると述べました。
そして、その本質は
自分の今まで身につけてきた知識と新しく入ってきた知識を比較して、その差に気づくこと
そして
その差について思いを巡らせること
が問題を発見する行為であると述べました。
さて、この件ですが、皆さん日常的にしていませんか?
「うーん、していないな」「私は、新しい知識なんて身につけてないな」「勉強うまくいっていないしな」
などいろいろなことが思い浮かぶかもしれません。
大丈夫です。みなさん、日常的にかならずしています。
それは、どんなときか?
知らない人と話をするときです。
学校や仕事場その他、店員さん、いろいろな人と話をしますよね。
その時のことを想像してみてください。
想像しましたか?
あなたは、相手のことを全力で理解しようとするのではないでしょうか?もちろん、自分が望んでその人と会っていたり、魅力的な人物ならなおさらです。会いたくない人と無理やり会わなければならないときは、今回は、そのような人は想定しません。
そして、たくさん相手と話をします。このときは、情報をとっている。知識を得ていると考えられます。
そして、話をつなげるのがうまい人は、相手との共通点を探ろうとします。こうすると、お互い仲間だという意識が得られるからです。このようにしてうまい人はモテるのです。
今度この手法を使ってみてはいかがでしょうか?
っとは、いってもそれだけでは、やはりいけません。
「私達、似ているわね。」「一緒だね」だけでは、お互い理解しあえません。そもそも、それは話を合わせすぎでしょー。
それで、まともに話していくと、きちんとお互いの考え方が違うことがわかってきます。もちろんそれを生み出した、環境もそれまで生きてきた経緯も違うことがわかります。
そして、相手の話を聞いてなるほどと思った経験があるでしょう。
そこで、よりハッキリと私自身と他人の違いがよく分かるようになってきます。
そして、あなたは、その人の徐々に理解するのです。長く付き合えば付き合うほど、相手の理解不能な部分つまり差が出てきて、そしてそれをなんとか解釈して、という形で人間は相手を理解していきます。
「なんで、こういうことを言うのか?」「なんでこういうことをするのか?」という疑問に一つ一つ整合的になる答えを無意識に見つけているのではないでしょうか?
今の例でわかる通り、相手を理解するということは、すでに考えることをしているということがわかります。おそらく、これだけの長い文章を読む能力がある方はすでにそういった経験はお持ちだと思います。
さて、次の例です。もしかしたら、こっちのほうがわかりやすい方もいるかもしれません。
簡単に考えることができるようになる例として、
海外に行くという方法がありますね。これでもうわかったかもしれません。
よく海外に行くと、カルチャーショックを受けるといいます。
これは、どういうことか?
日本にいると日本人のものの考え方の習慣というのが、完全に無意識化されて、毎日の生活を過ごしています。
例えば、あなたが
町でブサイクな赤ちゃんを見たとします。
そして、あなたは内心で「ブサイクな赤ちゃんだなー」と思ったとします。
ただ、そのときどうでしょう?お母さんに、この子かわいいでしょう?と聞かれたら?
たぶん、あなたは
「かわいいですね」と答えるでしょう。
これは、あなたが心のなかで思っていることと実際に違うことを言っている。つまり客観的には嘘をついていることになりますが、日本ではそうするのが普通です。
これが、同じことをヨーロッパのどこかでやったならば、「お前は嘘つきだ、ブサイクなものはブサイク」と言わなければならないと言われて、人間としての信用をなくしてしまうこともあります。
このとき、うそつきだと言われるとめちゃくちゃショックですよね。
そして、あなたは
「なぜだろう?」と思いますね。
ほら、問題を発見しました。
つまり、日常的に身についた思考(日本人のコミュニケーションスタイル)と、それと違う思考の仕方(ヨーロッパ人のコミュニケーションスタイル)のズレや差を否応なく、知らされて、なぜだろうと思うつまり問題発見をしたということです。
そして、人によっては日本人とヨーロッパ人の考え方の違いはどうして出てくるのか?歴史的なことか?それとも地理的なことか?などいろいろ出てくるでしょう。
大事なのは、自分で当たり前だと思っていたことが、本当は当たり前ではないと気づくこと、そして、それが不思議だなーと思うことです。
みなさん今までの例で見てきたように、実際には、すでに考えること問題を発見することをやっているのです。つまり、脳みそは勝手にやっています。
ですから、
「私に考えることなんてできない」
なんて言うのは、間違った認識だということに気づいてください。
さて、では、最後になぜ上の2つの例では、そういうことができて、仕事や勉強などではできないのかという疑問が残ります。
それは、簡単です。
仕事や勉強で、必要な知識や情報に対する慣れが圧倒的に不足しているからです。
自分のことは、毎日のように接しているので、慣れがあります。なんとなく言葉にできなくても、自分のイメージがあります。
また、日本の文化の中で生きている人は、それに対する圧倒的な慣れがあります。言葉にできなくても、感覚でわかっているのです。
一方仕事や勉強に関しては、どうでしょうか?慣れが圧倒的に少ないのではないでしょうか?嫌だと思っていても、最初は鼻をつまんでやってみてください。
そして、そこに新しい知識を加え続けていく。しかも、自分との意見の違う知識をいれていく。そうすることで、自分にカルチャーショックをおこしまくり、自分に考えるきっかけを与え続けていください。
最初は、下手の考え休むに似たるです。
頭の中に比較対象がないので、一人では何も考えられない状態です。
どんどん知識をいれまくり、比較対象を増やし続けてください。
あなたは、死ぬほど賢くなります。
ちなみに、比較文化論として、面白い本を一冊あげます。これを読むと、問題を発見するということがどういうことか?著者が、日本とドイツを往復してどのようにして、2つの国について問題を提起し、それに対して答えたかが書いてあります。
読者はこれを読むと、そういった思考の経験を追うことができるでしょう。面白い本です。
考えるとは何をすることかわからないあなたへヒントです。問題発見をする最強の技術とは?
こんにちは、シュウです。
いつもブログ読んでいただいてありがとうございます。
今日は、考えるとは何をすることなのかについてお伝えします。この話は、強力です。この記事を読むと、「考えること」のコツを掴むことができ、結果的に人より明確に多くのことを考えることができるようになります。
考えることが必要とされる現代では、必須の能力です。
今まで、「考えること」が苦手だった人や、「考える」というのは何をすることかわからなかった人は、はじめて糸口をつかむことができるかもしれません。
結論としては、知識や情報の修得が問題を創るというものです。「比較」という概念が鍵を握っています。必ず納得できる話です。最後まで読んで、思考能力を高めるという果実を掴んでください。
また今までの記事と比べて、少し抽象的になりますが、途中で具体例を入れるので、そこと抽象的な部分を往復して理解を深めてください。
よく学校の先生、会社の上司など「自分で考えろっ」と言われたことは、ありませんか。そういうとき、そのようなことをいう人がいたら、その人に
ぜひ一度
考えるとはどういうことですか?
何をすることですか?
具体的にどういうことをすることですか?
と聞いてみてください。
そして、「考えるとは、考えることだよ」と言われたら、
「先生は、自分で何をやるかわからないことを人に命令するのですね。それは変ではないですか?初めて何かをやる人には、やり方を説明しなければなりません。」
と切り返してみるのは面白いかもしれません。ただちょっと嫌われるかもしれないので、気をつけてください。
さて、では、考えるとはどういうことなのか?考えるときに、やっていることはたくさんありますね、たぶん。そこで、今日は、みなさんが役に立つ側面を抜き出して、説明していきます。
さて、今日は、考えるという側面のうち、「問いを生み出す・問題を生み出す」という行為についてお伝えしましょう。
一般的に、「考える」という作業をするときに、「問いを生み出す・問題を生み出す」ということをして、「それに答える」ことをしているかと思います。
小中高では、問題を与えられることが多いと思います。
しかし、勉強をしていて、
「自分が何をわからないのか、理解できない」
ということがよくあると思います。
このとき、自分がわからないことが何なのかを理解する、つまり「問いを生み出・問題を生み出す」
そして、「自分がここがわからなかったのか」
と問いの形を発見して、それに明確に答えを見つけるようになってわかるようになるのだと思います。
今のは、まさに「問題を発見する」→「それに対する答えを得る」という過程をたどったと思います。
したがって、きちんと物事を理解しようとしている小中学生は、「問題発見」→「問題解決」をしていると言えそうです。
いわゆる自分で自分のわからないことを発見して、自分で理解していくということです。
次に社会人向けの説明として、よく
「社会に出てからは、答えがない問題がたくさんある」などといいますが、
そもそも、答えよりも先に「何が問題かがわからない」ということがあり、問題をきちんと定義する必要があると言われます。そして、問題が定義(解決すべき問題がわかったら、それに対して、実際に行動を起こすということです。
小中高生の考えるという行為は、頭の中の理解をするという行為ですから目に見えにくい。学者もそうかもしれない。ただ、文字にして、それを形にしていく。
社会人の場合、もうちょっと人に話したり、ものが作られたり、とちょっと物理的になる。
ただ、「考える」ということの本質は、似たようなものだということができそうですね。
さて、この「考える」というプロセスにおいて、何が大事か?
もう、おわかりですね。
そう、最初の問いや問題を創ることが大事なのです。そして、それが一番むずかしい。
例えば、
小中高生で受験生であれば、「自分が何がわからないかをことばにして理解すること」
会社員であれば、「今何が問題かをことばにして明確にすること」
です。
これに対して、どうすれば良いか全くわかりませんね。というか、
「それができれば苦労しねーよ」という声が耳に鳴り響いています。
それに対して、例を示して、ヒントを与えていきます。
次の質問を考えてください。元ネタは、「はじめて考えるときのように」という本の中のものです。
「有性生殖は、なぜあるのか」という問いです。
あなたは、この質問がいきなり出てきたことが人生であるでしょうか。もちろん、高校生物を習ったことがある人ならば、考えたことがあるかもしれません。
ただ知識がなかったとき、こどもの頃、幼稚園のころ考えたことがあるでしょうか。
おそらく多くの方は、そのような問いを持ったことがないと思います。
もしかしたら、幼稚園のときに好きな女の子もしくは、男の子にふられたことがあって、その際に、なんで男の子・女の子の違いがあるんだろう。同じ性別だったら、いつも一緒にいれるのにと思った方はいるかもしれません。
また、ある生物学者が多くの生物を観察していて、世の中には、無性生殖の生物がいることを偶然発見したとします。
そして、無性生殖の生物が簡単に一人でに増殖をしているのを見つけたとします。アメーバーがぶるんっと増殖するのをご想像ください。実際に調べてみると、結構そういう一人でに増殖する生物がたくさん世の中にいることがフィールドワークで観察できたとします。
すると、この生物学者は、ここで
「ん、ちょっとまてよと疑問を持つ可能性があります。」というか、私達でも思うかもしれません。
有性生殖の生物が、交尾のような相手を見つけるのが大変で・敵に襲われるリスクが高く・生殖に非効率的な方法をとっているのは、なぜだろうと考えるのではないでしょうか。
有性生殖の生物を見ているだけでは、このめんどくさい方法が普通すぎるので、有性生殖が、めんどくさいとか非効率とかリスクが高いとかそういった問い自体を思いつく余地がありません。
上の例で確認した通り、この生物学者は、自分の知識が増えたおかげで、いつも見ているものが逆に異常な現象だと気づくようになったわけです。
今の例で、生物学者は、
無性生殖の生物の発見→有性生殖の生物の異常さを確認
という過程を通るわけです。
無性生殖生物について、知識を拡大することによって、有性生殖の生物の異常さに気づき、
「有性生殖は、なぜあるのか?」
という問いを発見するに至ったというわけです。
一般的に、問いはいきなり出てくると思われるかもしれません。しかし、この例のように、新しい経験をするということも含めた意味で、自分の知識を拡大することを通してでしか、問いは、でてきません。
いわば、自分の今まで持ってきた知識と新しく入ってきた知識を比較して、その差に気づき、そしてその差について思いを巡らせるというが問題を発見するという行為の本質です。
ということは、ひたすら知識を拡大する必要がありそうです。そして、自分の今まで持ってきた知識との差異について、思い巡らせてみてください。そうすることで、差を発見することができ、問題を発見できる可能性が広がるのです。
ただ、もちろん知識を拡大していくのには、基本的に時間がかかりますので、すぐに思いつくようにはなりません。
少し抽象的なことをお話ししました。以下では、具体的な例を用いながら、問題を発見するパターンを見ていきましょう。
むかし、むかし、あるところに経済学者がいました。これは完全なる思考実験です。
彼は、古典派経済学のもともと信奉者でした。そして、この世は、古典派経済学の方法で世の中の経済現象をすべて説明できると信じていました。彼は、人間は、みんな合理的に意思決定して、経済活動をしていると頑なに信じていました。そして、ほとんどの経済活動は、実際に説明できていました。
彼に、こどもができました。すると多くの人が子どもをどういうふうに育てているのかの情報や知識が拡大します。みんないろいろな育て方をしているな。ふむふむ。
そこで、経済学者は、ふと思ったのです。
「あれ、そもそもなんで人間は、子育てなんて、非常に非合理的な経済行動をするのじゃ?」
「同じお金であれば、自分に投資したほうがいいではないか?情報化社会では、自分の知識にお金をかけるほうが投資になるぞ。
しかも、こどもなんて何年後に投資が回収できるのかわからんぞ。非効率的すぎる。
これだけ、格差も開いていることにも関わらず、なぜじゃ?子どもが全員稼げるようになることはありえんぞ。」
この経済学者の論理では、もともと人間は合理的な意思決定をするというのが前提でした。しかし、実際の世の中の観察結果を見ていくと、どうもうまく説明ができないことがわかり、彼は新たに家族経済学なる学問を創りました。
新しい知識の拡大によって、今まで信じてきたことでは説明できない「差」がでてきました。これによって、新しく「考える」つまり「問題を発見する」ことができたのです。
この話のポイントは、もう一つあります。彼は、古典派経済学を信奉していたのです。つまり、完全にそういう考え方を身につけていました。もちろん、信奉しすぎては、なんでもこじつけてしまってまずいですが、その場合は今回は除外します。
そうすると、その見方でものごとを見たくなります。そして、実際にその見方でものごとをみると今回は、通用しなかったというわけです。
なので、私達が問題を発見する際には、自分である考え方に習熟することが必要となります。そして、その考え方と実際に起こっていることを比較する・新しい知識を比較するということです。
そうやって、2つの似たような知識を得て初めて、考えることができるようになるのです。
具体的に私達は、何をすればよいでしょうか。
まずは、現実を説明するいくつかの知識を学ぶことです。経済学の例でいえば、まず古典派経済学を学ぶことです。そして、その経済学の考え方をきっちり身につけます。そして、その考え方で世の中の現象を説明してみようとするのです。
そうすると、うまく説明できるところとできないところが出てきます。そうすれば、説明できないことは、あなたが問題を発見したことになりますね。
ただ、これは、結構むずかしいことです。
なので、まず、経済理論などでいえば、アベノミクスについていろいろ言っている経済評論家の本を読みましょう。
最初は、自分の気に入った経済評論家の意見で構いません。最初は、好きな評論家にひたすら心酔して、崇拝して、読みまくりましょう。5冊くらい読んでもかまいません。
その考え方のパターンを掴んだと思ったら、その人と反対の意見を言っている人の本を手にとりましょう。
そうすると、最初の心酔した人とのズレや差が生じるようになります。そこについて、矛盾を解決するように何かぼんやりしてみてください。新しい、ことを考えられるようになります。
この際に注意すべきは、まずは、ひたすら一人に心酔することです。人に教えられるくらい心酔してください。中途半端に心酔しただけでは、まず思考のパターンが入っていないために、反対の意見の人の本を読んでも差がわかりません。そうすると、自分の問題発見も少なくなります。
よく武道などでいう、守破離という過程です。
まず、型を身につける→そしてちょっと違和感を感じる→完全に自分の独自の考え方をする。
この過程を通りましょう。
まず、とにかく何らかの知識をつける・心酔する。そして、それと他のものを比べてみる。そして、差を比較する。これだけです。
多くの考える本とか発想本は、知識を入れることを軽視する傾向があります。そのような安直な本に手を伸ばさないように気をつけてください。
この記事を考えるときに参考担った本は以下です。考えることについて、本当にヒントになることが書いてあります。
非リア充が究極のリア充に変わるために必要なたった2つの意識の向け方
こんにちは、シュウです。
いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。
今回は、非リア充が簡単に究極のリア充になるための思考法について教えます。
「え、そんなのあるの?」と思うかもしれません。
はい、そんなのあります。大丈夫です。この記事を読んで毎日実行していけば、必ず普通のリア充を超えた究極のリア充への道が開けます。
おっと、間違えないように最初に断っておきますが、私は、非リア充という存在に対して全く否定的では、ありません。
いわゆる「非リア充」と呼ばれる人たちは、人と関わることにストレスを感じることが多いために、人と距離を置く傾向があります。
そのために、逆に自分の時間を人に奪われずに好きなことに熱中できる可能性を秘めている人種だと思うのです。なので、私から見れば最高の人種です。
しかし、本人が「非リア充」だと思うことによって、今申し上げた「自分の時間を謳歌できる」という利点を上回る苦痛を受けている場合、このような説得は無駄になります。
したがって、そういう方々に向けて、及び、まわりにそういう方がいる方に向けて対処法を書いていきたいと思います。
まずは、自分が「非リア充」だと思って悩んでいる方は、まずいったん「究極のリア充」になり、そのあとまた自分の時間を謳歌するために「非リア充」に戻っていく。
そして、また気ままなときに、「究極のリア充」に戻ってください。
非リア充・リア充の定義は、なんだー?と理系の方から、お声が聞こえそうですが、それは、あなたが想像する定義で結構です。そもそもブログで、定義を書いて議論するのは、あまり良いことではないと思っています。考える材料ぐらいになればちょうどいいのではないでしょうか。
なにか、コメントを書いていただければ、他の記事でなんらかの形でお答えするかもしれません。そういった形で、書いていただければ、議論も深まりますので、是非よろしくお願いします。
さて、前置きが長くなりました。
では、あなたに「究極のリア充」になる思考法をお伝えします。
意識を向けるべき先は、2つです。そして、簡単です。
「人の役に立つようにすること」と、「自分が変化し続けること」です。
- 人の役に立つようにすること
人の役に立つようにすることです。人の役に立つようにすることは、非常に難しいですが、相手のことをよく観察してください。そして、あなたの気になる人が何を求めているのか。何を解決したいのか。何について悩んでいるのかを注意深く見極めます。
問題というと、仰々しいですが、何か抽象的なニーズでもありです。安らぎとを求めているといったことでも欲求です。
例えば、誕生日プレゼントとして、女性に女性が毎日肩を痛そうにしていれば、良い枕をプレゼントしてあげるといったことです。もちろん、今のは、例です。観察していて、最近枕は良いのを買ったことがわかれば、良い睡眠専門のお医者さんを紹介することも良いかもしれません。
つまり、潜在的に求めていて、ただその本人も気づかないようなものについて、気を巡らせます。
この際に落とし穴が、あります。自分の視点で「役に立つ」と思って渡してしまうことです。
これをすると、何がおこるか予想できますね。
「私のことわかってない」となります。当たり前です。何故お前基準で選ぶということです。
この際に、どうすれば良いか。ひたすら相手が何を求めているのか、考え続けるのです。人の意見を聞くのは、もちろん、○十代の悩みなんて本を読んで情報収集します。
そのように情報収集するようになれば、自分が想像もしなかった相手の考えがわかるようになります。毎日続ければ、かなりいろいろなことが見えてきます。話のネタにも困りません。
このようにして、話せる人間になっていくのです。
なるべく、一般的なネタを読むと、他の人と話すときにも話しのネタになります。特定の人だけではなく、幅広い人のことがわかるようになるのです。
役に立つといっても、なるべく物理的なものより情報的なものにしたほうが最近では、得だと思います。
理由は、物理的なものだと、他の人でもできてしまうことがあることと先史時代ではないので、知識や情報が見を守ったり、生活を豊かにする方法になってきたからです。
それは、また今度詳しくお話します。
- 自分が変化し続けること
2つ目に、自分が変化し続けることを意識することです。
まず、二人の人を想像してください。
一人目としては、よくしゃべるし、ネタをたくさん持っていそうな人。この人は、たくさん人を楽しませるために、ネタを常に仕込んでいます。しかし、つい、同じネタを人に使いまわして、同じ人に同じネタをしゃべってしまいます。ただいつもどこかで聞いたことあるネタ。
二人目としては、毎日いろんなジャンルの本を読んでいる人。この人は、あまりしゃべらないですが、一つのことを話すと、いろいろな話をしてくれます。
毎回、興味が動いたり、多彩な情報を得ている。そして、気づいたら半年前とだいぶ違ったことを言うようになっている。もちろんいい意味で違うことをいっている。
さて、一概には、言えませんが、私は、後者の人間のほうが面白い人間だと思います。自分の考え方を変えようとしている後者に対して、前者は、表面的なネタそしてどこかで聞きかじっただけのネタをいっているだけです。
私は、良い意味で変化し続けている人間は、見ているだけでおもしろいと思います。新規事業を新しく立ち上げまくっている起業家に支持が集まるのはそういう心理かもしれません。
そして、変化し続けるには、新しい経験が必要だと思いますが、そんなに新しい経験を普通のひとは簡単にできません。時間もお金もないです。
なので、その体験をできるのが本なのです。いわば、新しい疑似体験がお金をかけずにできます。さらに1でいったように人の役に立てる情報も手にいれることができます。
注意としては、ジャンルがあまり偏るとまたこもる生活になってしまうので注意です。
本を読むという、これほど、良い時間とお金の使い方はないと思いませんか。
以上まとめると、人の役に立つ情報を手に入れるために、そして、自分自身を変化させるために本を読む。そうすることで、究極のリア充への道がひらけます。
この習慣がついて、良いところは、変化し続けるという習慣がつくことです。
よく、俗にいう一発屋などは、たまたまそのときうまくいったが、変化し続けるマインドを持たなかった人だと思います。
昔魅力的に見えたのに、今は・・・・なども同様です。
あなたがダメ上司を見たときに喜ぶべき2つの理由
こんにちは、シュウです。
いつもメルマガを読んでいただいてありがとうございます。
この記事は、ビジネスパーソンの悩みについて話します。
私は、会社員の友人から自分よりも上の立場の人が仕事ができないことがあるとイライラするということをよく聞きます。
そんなときに、面白いことを考えました。そして、イライラしないどころか、最高の自分を想像する方法も考えました。
お伝えします。
まず、上司がダメだということを発見できるあなたの能力は素晴らしいと思ってください。できれば、皆が気づいていないあなた独自の上司の悪いところを発見しましょう。あなたの分析に磨きがかかります。
そして、もう一つ、最高の自分へのステップとして、
「あんなやつでも出世できた、いわんや俺をや」と思いましょう。
経済学者の森嶋通夫さんという方がいらっしゃいました。なんとロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の教授だった方です。あの大学経済学者ケインズでもLSEの教授には、ならなかったというのに。
そんなこといいとして、森嶋通夫さん自身、経済学者として、思うように仕事ができないときにどうやって自分自身を励ましたかというと、
自分より上の世代の学者たちを見て、あの程度の能力でも大学教授をやっていられるんだ。だったら、俺も絶対にできるはずだと思って、奮闘したとか。
そして、ダメな経済学者がいることで、自分のような潜在的に能力が高い学者が仕事をやめないで済むのだとおっしゃっています。
ダメな経済学者にも、社会的効用があるということです。
うまく考えたものです。
こういった形で、自分に都合の良いように、物事を解釈していくことも時には、必要だと思います。というか、こういうのをリフレーミングなどいいます。
このブログでは、うまくリフレーミングができるようになるよう、記事を書いているつもりです。
是非ブログを読み続けて、そういった思考を手にいれてください。
いくつか本を紹介しておきます。どれか読んでみてはいかがですか。
なぜ日本経済に活気がないといわれるのか。うつを治す簡単な方法!そして、私は、解決策を知っている。 解決編
こんにちは、シュウです。
いつもブログを読んでいただいて、ありがとうございます。
さて、前回の原因編の続きです。
前回を読んでいない方は、読んでいただければありがたいです。
問題を出して、これは、問題だ。だめだという人は、たくさんいますが、それについてどうしたら良いのということを考える人はあまり少ないように思います。
答えが間違っていようがいまいがどちらでもいいことです。まずは、自分なりの解決をしゃべっていくのが大事ではないでしょうか。さらに言えば、将来のことなどどうなるかわからないので、もしかしたら、専門家の意見ではなく、あなたの意見が当たるかもしれません。臆せず、勝負をしましょう。
さて、前回の原因編では、夢がなくなったせいで、正確に言うと、夢が夢としての効力をもたなくなったせいで、日本経済に活気がないという話をしました。
それでは、どうすれば、その状況をよく出来るでしょうか。
アイディアとしては、簡単です。
夢をもう一度作る仕組みを考えるのです。
「え、そんなこと」
「まじでっ」と思うでしょう。
マジです。
夢を創るために、必要なものは、何だと思いますか。
はい、お伝えします。簡単です。
今までに聞いたことも、見たこともなかった大量の情報です。
私は、いわゆる「やる気」がない人を扱うことが多いのです。その中で、彼らの特徴は、何かというと、自分の狭い興味範囲以外に面白いことは、ないと思い込んでいることです。
それは、その人がいけないのではないかと言われることもあります。しかし、その人だけに、責任があるわけではありません。
そのようになってしまったのは、はっきり言ってまわりに、自分の興味をうまく拡大してくれる人がいなかった可能性が高いからです。
私は、前回の記事に書いたように、人のやる気というものを理解するために、脳科学・経済・歴史・経営などいろいろなものを関連付けています。
こういうふうに関連付けまくって、いろいろな人に話すと、かならず、もっと勉強したいと言ってくれるようになります。
新しい情報や今まで持っていた情報でも新しい視点をいれると面白いと思えるので、どんどん知りたいと思うようになります。
かたや学校ではどうでしょうか。もちろん、超進学校や、名物講師を除きます。
毎回同じようなことを、わけもわからずこれはこうだよ。
ああだよ。
とにかく、覚えなさい。
他の分野とのつながりなんてことも考えない。
先生は、丸付けや事務作業にやたら、忙しいかもしれません。ただ、それは、おそらく機械でも代替可能なものの可能性が高いですよね。
そのようなものに、時間を取られるよりも、私は、少しでも多く教科書以外のことも勉強したり、本を読むことを学校の先生たちにはお願いしたいです。
そして、あの学生の潜在的に興味があることはなんだろうと常に考えて、
「あなたは、こんなことに興味あるんじゃないの?」と聞いていきながら、夢を創っていけばいいのです。
こういうと、
「そんな時間ないです」と言われてしまうかもしれません。
わかっています。ただ、もうちょっと考えてください。教師の役割を。
機械でできる。東進ハイスクールができることをあなたがやるのは、おかしくないですかと。
その場にいて、その子の興味を引き出せるのは、機械にはできません。機械にできることを任せて、その間、機械にできないことをやるのがいいのではないでしょうか。
あなたがやらなくてもいいことは、あたなはやらないようにすべきでしょう。
人生は、短いのですから、もうちょっと交換可能なものと交換不可能なものを交換するのはやめてください。
脱線しました。ともかく、先生は、先生であるから偉いのではなくて、学生よりも圧倒的に知識があって、まさに学生の興味・関心をリードしてくれるから偉いのです。そこを間違えてはいけません。
興味関心意欲に低い評価をつける先生がいたら、その先生は、申し訳ないですが、その人が悪いと思います。
ところで、あまりにも、辛辣になりすぎました。申し訳ないです。
今言ったことですが、先生だけに問題があるわけではありません。
なぜなら、こういったことに気づく人は非常に少ないからです。
私は、「興味・関心を創り夢を創る」という授業を少し大学の教員養成課程で入れたほうがいいと思っています。
今の時代では、さきほどいったように夢が経済的成功ではなくなっているのですから、当然それは、必要です。そうでないから、うつになる人が多いのです。
脱線しました、戻ります。
まず、相手の興味を引き出すには、圧倒的な知識量が大切です。もし、あなたに知識量がない場合、学生がただのバカに見てしまいます。
例えば、「なぜ人を殺してはいけないの」と子どもに問われたときに、これにどう答えますか。
ダメだからダメということもできます。
しかし、あまりおもしろくない。そして、私なら、その議論を通して、法学・歴史・近代国家の基礎的な考え方・ニーチェ哲学・ウィトゲンシュタインなどに話を広げることができます。そして、面白がらせる自信があります。
そうすれば、そもそも人を殺すことよりよほど面白いことがあることがわかり、そんなことしないでしょう。
そもそも、意地悪でそういうことをいう人がいたら、その人はたいてい毎日がおもしろくない可能性が高いです。なので、面白がらせることが日本を救うかもしれません。
いくらでも、広くそして深く展開することが可能です。あなたの知識が多ければ。
ということで、大学の教員養成課程で、
分野横断的読書みたいな科目を創ったらいいと考えています。
半年の間に、いろいろな学問の入門書レベルでいいので、180冊くらい読んでもらって、それをディスカッションするなどです。
それを大学の課程でやるのは、難しくないはずです。なんと言ったて、やたら本好きの人が集まっている場所なのですから。
いろいろ、技術的なことで難しいこと、制度上難しいことなどありますが、それはいいわけです。
基本的に、必要だと思ったら、努力したりすることができるのが人間だと思います。
私は、いろいろな本を人に勧めて、直に感動してもらって、やる気を引き起こすことを地道にやっていますが、そのうちちょっと大きめの規模でことができるようにしたいと思っています。
夢を創るのは大変そうだなと思った方!あなたは、正解です。そう、だから長い時間かかるので、学校教育で仕組みとしてやってほしいと思います。
もちろん、個人としては、たくさんの本を読んでください。
そして、会社のリーダーは、夢を自ら創り、大ぼらを吹いてください。
これからもよろしくお願いします。